はじめに
現代の5G(NR: New Radio)ネットワークにおいて、通信品質を評価する際に「アンテナが何本立っているか」という指標は、あくまで表面的な事象に過ぎません。エンジニアが無線環境を最適化し、スループットのボトルネックを特定するためには、その裏側にあるRSRP、RSRQ、SINRといった指標が、どのような物理的意味を持ち、どのように測定されているかを正確に把握する必要があります。
本稿では、1時間半にわたる議論と技術レビューを経て、3GPPの定義から現場での実運用における挙動まで、5G無線測定の全容を徹底的に解説します。
1. RSRP(Reference Signal Received Power)の定義と測定メカニズム
RSRPは、その名の通り「リファレンス信号(基準信号)の受信電力」ですが、5GにおいてはLTEとは異なるアプローチが採られています。
3GPP(TS 38.215)における定義
5G NRにおいて、RSRPは一般的に SS-RSRP(Secondary Synchronization Signal Reference Signal Received Power)を指します。3GPPの定義によれば、これは「SSB(Synchronization Signal Block)を構成するSSS(Secondary Synchronization Signal)が配置されたリソースエレメント(RE)の電力の線形平均」です。
ここには重要なポイントが3点あります。
- 「線形平均」であること: RSSI(帯域全体の電力合計)とは異なり、1つのREあたりの電力を抽出して平均化します。これにより、システムの帯域幅が10MHzであっても100MHzであっても、1REあたりの送信電力(EPRE: Energy Per Resource Element)が同じであれば、RSRPは同等の値を示すことになります。
- 測定対象がSSBに限定されていること: LTEのCRS(Cell-specific Reference Signal)は全帯域に常時散らばっていましたが、5GはLean Carrier設計のため、SSBというバースト信号を測定対象とします。これは「常に電波を吹かない」という省エネ・低干渉の設計思想に基づいています。
- CSI-RSRPとの使い分け: 接続状態(Connected mode)では、SSBだけでなく、より精緻なビーム制御のためにCSI-RS(Channel State Information Reference Signal)を用いたRSRP測定も行われます。本稿では、待ち受け時やエリア判定の基準となるSS-RSRPを中心に解説を進めます。
端末側での具体的な測定プロセス
端末がRSRPを算出するまでには、物理層から上位層にかけて複数のフィルタリング工程が存在します。
- L1(物理層)測定: 端末はSSBの周期(デフォルト20ms等)に合わせてサンプリングを行い、SSSのリソースエレメントから瞬時的な電力を抽出します。
- L3(ネットワーク層)フィルタリング: フェージング(反射や回折による瞬時的な変動)の影響を排除するため、上位層で移動平均処理が行われます。このフィルタ係数はネットワーク(基地局)から報知情報として指定され、端末はこれに基づき「安定したRSRP」を上位層へ報告します。
2. 物理現象としての電波伝搬:減衰・回折・反射
基地局から発射された電波がRSRPとして観測されるまでのプロセスには、周波数に依存した物理特性が強く影響します。
高周波数帯における「回折」の欠如
5Gで主に使用されるSub-6帯(n77/n78等)やミリ波(n257)は、4Gのプラチナバンドと比較して直進性が極めて強く、**回折(Diffraction)**しにくいという性質があります。
回折とは、障害物の角を回り込む現象です。波長が長いほどこの能力は高く、ビルの裏側にも回り込みますが、5Gの高周波では「影(Shadowing)」が非常に濃く出ます。基地局が見えている場所(LoS: Line of Sight)から一歩ビルの影に入っただけで、RSRPが20dB以上急落するのは、この回折能力の低さに起因します。
端末側での測定と「開口面積」の問題
アンテナ工学的な視点で見ると、周波数が高くなるほどアンテナの物理的なサイズ(波長に比例)が小さくなります。自由空間伝搬損失(FSPL)が周波数の2乗で増えるという理論は、「周波数が高いとアンテナの有効開口面積が小さくなり、キャッチできるエネルギーが減る」ことを意味しています。基地局側で送信電力を上げたり、Massive MIMOによるビームフォーミングでエネルギーを集中させたりするのは、この物理的な受電効率の低下を補うためです。
3. RSRPの強さと品質の目安:エンジニアが参照する基準表
実務において、測定されたRSRPが「使えるレベル」なのかを判断するための基準を示します。ただし、5GはSub-6とミリ波で基準が異なる場合があるため、ここでは一般的なSub-6(n77/n78)を想定した値を記載します。
| RSRP (dBm) | 評価 | ネットワーク状態の詳細 |
| -75 以上 | Excellent | 基地局至近。SNRが極めて高く、256QAMやMIMO 4×4のフル性能が発揮される。 |
| -75 〜 -90 | Good | 良好なエリア。安定した通信が可能。 |
| -90 〜 -105 | Mid / Fair | サービスエリア内だが、干渉が強くなるとスループットは低下する。 |
| -105 〜 -115 | Poor | セルエッジ寄りでハンドオーバーがトリガーすることも。パケットロス発生のリスクあり。 |
| -115 〜 -125 | Very Poor | セルエッジで通信が限界に近くなる。切断(Drop)の可能性が高くなる。 |
| -125 未満 | No Service | サーチ限界だったりRRC接続の確立が困難になる。 |
RSRPの最低値と熱雑音(Thermal Noise)
RSRPがどこまで低くても通信できるかは、**熱雑音密度(Noise Floor)**によって規定されます。
室温環境(290K)での熱雑音密度は $-174 \text{ dBm/Hz}$ です。
5Gで一般的な30kHz SCS(サブキャリア間隔)の場合、1つのREの帯域幅は 30kHz です。
計算式:$-174 + 10 \log_{10}(30000) \approx -129.2 \text{ dBm}$
これに端末のノイズフィギュア(NF: 受信機の性能限界、約 5〜9dB)を加味すると、$-120 \text{ dBm}$ 程度が物理的な「底」になります。これ以下の信号は、いかに高性能なアンプを持ってしても、ノイズの中からSSSのパターンを見つけ出すことができません。
4. 信号品質の重要指標:RSRQとSINRの相関関係
RSRPが「信号の絶対量」であるのに対し、通信の「品質(聞き取りやすさ)」を測るのが RSRQ と SINR です。
RSRQ(Reference Signal Received Quality)の数理
RSRQは以下の式で定義されます。
$$RSRQ = N \times \frac{RSRP}{RSSI}$$
($N$ は測定帯域内のリソースブロック数、RSSIは帯域全体の総電力)
RSRQは $-3\text{dB}$ から $-20\text{dB}$ 程度の範囲で変動します。分母のRSSIには、自分のセルのデータ送信電力だけでなく、隣接基地局からの干渉、さらには熱雑音まですべてが含まれます。
- セルの混雑: 基地局がフルにデータを送っていると、RSSIが増大するためRSRQは下がります。
- 干渉: 隣の基地局が同じ周波数で強く吹いていると、RSSIが増大し、RSRQは急落します。
SINR(Signal-to-Interference-plus-Noise Ratio)
SINRは、純粋に「信号の強さ」と「邪魔なものの強さ」の比率です。
5Gのスループットを最終的に決定する「変調方式(MCS)」は、RSRPではなくSINRによって決まります。SINRが 25dB 以上あれば 256QAM で大量のデータを一気に送れますが、SINRが 0dB を切ると、最も耐性の強い QPSK で細々と送るしかありません。
5. RSRPが強いのに通信が不安定な「パケ止まり・低速」事象の解剖
「アンテナはフルに立っている(RSRPが高い)のに、全く通信できない」という事象。これは現場エンジニアを最も悩ませるパズルの一つです。この原因は「電波の強さ」以外の要素に潜んでいます。
① SINRの悪化(強すぎる干渉)
特にタワーマンションの上層部や、高い場所に基地局が密集している都市部では、複数の基地局から同じような強さのRSRP(例:-70dBm)が届くことがあります。
端末から見れば「全員の声が同じ大きさで聞こえる」状態で、自分の接続先の声(S)が他の基地局の声(I)にかき消されます。RSRPが高い値でもSINRがマイナスになることがあり、この状態では通信が成立しません。
② 上りリンク(Uplink)のパワー不均衡
通信は双方向です。
- 下り(DL): 基地局は大電力、巨大なアンテナで吹く(RSRPは高く出る)。
- 上り(UL): スマホの送信電力はSAR規制やバッテリーの関係で 23dBm(200mW)程度に制限されている。端末が「基地局の声はよく聞こえる(RSRP良)」と言っていても、基地局が「端末の声が小さすぎて聞こえない」という状態になれば、TCPのACKが届かず、通信はストップします。
③ RSRPとスループットの非相関
5Gにおいては、RSRPが強くても「接続している周波数(n28等)」が 10MHz 幅しかなければ、速度は頭打ちになります。逆に、Sub-6(n77等)で 100MHz 幅あれば、RSRPが多少低くても、帯域幅の力で圧倒的なスループットを出すことができます。
6. RSRPのシステムにおける役割:セル選択とハンドオーバー
RSRPは単にユーザーに電波状態を教えるためのものではなく、システムの動的な制御に不可欠なパラメータです。
セル選択と再選択(Idle Mode)
端末が電源を入れた際、スキャンした中で最も高いRSRPを持つセルにキャンプオンします。移動中は、隣接セルのRSRPを定期的に監視し、現在のセルのRSRP+ヒステリシス値(頻繁な切り替えを防ぐ余裕分)を隣接セルが上回った場合に、新しいセルへ移動します。
ハンドオーバー(Connected Mode)
通信中、端末は基地局へ「Measurement Report」を送ります。
代表的なイベントである Event A3(隣接セルが自セルより一定以上良くなった)が発生すると、ネットワーク側はハンドオーバーの指令を出します。
また、5G特有の挙動として、同じ基地局内での「ビームの切り替え」もRSRPに基づいて行われます。基地局は複数のビームを掃射しており、端末は最もRSRPが高い「ビームID」を報告することで、自分に最適な電波の束を追いかけ続けます。
7. 端末側でのRSRPの算出と「アンテナピクト」の真実
スマホの画面に表示されるアンテナの本数は、実はRSRPの値をそのまま出しているわけではありません。
OSごとのマッピングの違い
iOSやAndroidなどのOS、あるいは通信キャリアの要求仕様によって、「RSRPが何dBmならアンテナ4本」というマッピングは異なります。さらに、一部の端末ではRSRPだけでなく、SINR(品質)も加味してアンテナ本数を決定しています。RSRPが -90dBm と良好でも、SINRが極端に悪ければアンテナを2本に減らす、といった「ユーザーの体感に合わせた調整」が行われています。
RSRPの使われ方のまとめ
RSRPはあくまで「リソースエレメントあたりの電力」です。この数値に「帯域幅(何車線あるか)」と「SINR(道路の舗装状態)」という要素を掛け合わせて初めて、私たちの手元に「通信速度」という結果がもたらされます。
結び:エンジニアとしての視点
5Gの無線環境を理解する上で、RSRPは入り口であり、同時に最も奥深い指標でもあります。
今回、1時間半という長い対話を通じて、この「電波の強さ」というシンプルな概念が、いかに緻密な3GPPの定義と、過酷な物理的制約の上に成り立っているかを再確認しました。
「5Gは電波がどう届くのか?」という問いに対し、単純な一般論で答えるのではなく、定義に立ち返り、SCSやBWの影響まで考慮して論理を展開すること。それこそが、誠実な技術ブログのあり方であり、無線エンジニアとしての矜持であると考えます。
本稿が、5Gという目に見えない波を読み解くための一助となれば幸いです。